昭和44年9月26日 夜の御理解
信心の稽古をさして頂いて、え~、もう本当に自由自在に自分の心が、有り難い方へ有り難い方へ、え~おかげを受けられる方へ受けられる方へ自分の心を、あの頂きこなして行くということは、あ~やはり、い~、難しいことですけれども、やはり結局信心の稽古はそこだとこう思うんですよね。
今日はあの野口さんがお参りしてみえて、昨日息子さん、もうとにかく、もう大変忙しくらっ、忙しいらくてもう夜中頃まで仕事があってるらしいんです、夕べも、待っと、待っとらして、あのその待たせて頂いておったら遅う帰ってきてから、もうそれこそもう恐いような顔をしてもう、何が腹ん立っとるか知らんけれども、もうそけつきあたりこけつきあたりで、でそういう時にもほんに、あのこういう時にあの信心さして頂いておる親が、どうあらなければならないかと思うたら、もうそれこそまぁたて、それを受けるように、こちらが受けて、ね、そのもうとにかくあの「あんたが疲れとるから早う風呂入って早よ休みなさい」っち言うて休ましたと、と言うてその休ました後で、もうほんに信心頂いていない昔だったらどうだっただろうかと言うてその、今日お届けされるんです、ね、本当にあの~、そういうところがですね、えぇ例えば親の中でも、「なんならお前そげなん顔しとらんならんか」と言うたらもう駄目ですね、やっぱそういう顔をしとらにゃならんように、イライラもやもやがあっておる時なのですから、やっぱりこの親の方の心が、そのそれを受ける受け心と言うかね。
今日もあのお道の新聞、まいりましたが、あの「受け心」という題で、熊本の矢野という先生が、あ~あの、書いておられることが、こういうことを書いておられます。
「私には四つの孫がおります、四歳になられる孫がある、先日もその一緒に御飯を頂いておったところが、もういっぱい鼻を出しとるから、「あんた鼻を、ほら早よ奇麗に取りなさい」って、て言うたところが、その孫が言うことが「僕は紙を持たんから」っち言うて、「ならそりゃおじいちゃまがなら紙を上げましょう」と言うて、やったところが奇麗に鼻を取ったっちいうんですね、そしてその、そこんところはハンダーの下に置くそうですもん、「そりゃあんた捨ててこにゃいけんが」って言うたら、「紙はおじいちゃんのものじゃないか」っち言うたっち、鼻は自分のもんじゃけど、「紙はおじいちゃんのもんじゃないか」って言うたって(笑)、も~うど~うにも、あのその時に、「うんならおじいちゃんと、お~僕と、一緒に捨てなっ、捨てげ行かなきゃいけないね」と言うて、そのままになりましたと、そして後で考えた」ということが色々書いてありましたがね、「本当にあん時には、おじいちゃんがおじいちゃんらしゅう、あの黙ってね、捨ててやったり、その孫にこう言わずに、捨ててやりたかった」といったようなことが書いてあるんですけれども、「もう今頃の若い人の心というのは、子供ん時からこのような風にして育つから」ということを書いてありました。
え~それを読ませて頂いて私も同じような事を考えたんです、昨日、もうここを終わってしもうてから、テレビの所へ行きました、私はあの暑がりですから、「扇風機をつけれ」って言うのと二回から豊美がその直子に「扇風機を持っておいで」と上から言いよるのとが一緒になったんです、私も扇風機をここに持ってこようと言いよる、二回からも持ってきよるという、だから私があの「姉ちゃんが言いよる、いるって言いよるけんで、二回に持って行ってやりなさい」って私が言ったんです、ね、それでなら、豊美も何かわかっ、教えられただろうと思うんです、そしたら栄四郎がまた他ん所から別の扇風機を、それこそ何にも言わなかっ、言わんのですけれども、「もうお父さん良い良い、ここはもう涼しか、いらん」って言うたけれども、他所からこう持ってきて、扇風機をその、かけてくれるんです、ね、ですからもう、「お父さんが使おうち思いよるけんで」とか、あ~ん何とかって、子供の方のを無視しとったらですね、あの私と豊美の中にもおかしなことになってくるし、ここにおる者に教えることも出来なかった、私はそれを何か、今日それほどの新聞を読まして頂いて気付かして頂いたその矢野先生のそれをですね、うん、とにかくそのこちらの心が本当に、その御祈念でもした後の、和らいだ心でもんですけん、「早よなら姉ちゃんに持って行ってやんなさい」と言うてから、言えれるということがね、私は自分自身がおかげを頂くと同時にこのように自由自在にね、自分の心を使うて行けれるということがね、やはり自由自在のおかげを受けられることだと、いう風に私は思うんですよね。
まああれこれ、信心の一こま一こまを思うてみると、本当にお粗末なところばかり、御無礼なところばかり、たまにはそうしてこう見事に出来る時もあるですけれどもね、そこを、やはり一つ一つ本当なものにして行くというところに、焦点を置く信心が大事じゃないかと思うね。
どうぞ。
入力者:誠輝